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【プリンストン便り11】牧野先生とのおしゃべり

今回のプリンストン便りは、アメリカにおける日本語教育の第一人者、プリンストン大学名誉教授の牧野成一先生のお話です。

 

わたしの周りは、若い研究者(夫もですが)や、短期の駐在で来る会社員の家族が多く、みなプリンストンを数年で去ってしまいます。アメリカに長年住み続けてこちらの大学で職を得るのは難しいと聞きます。では、プリンストン大学で名誉教授にまでなった牧野先生は一体どんな人なんでしょう。この度、「東京大学プリンストン便りの取材」という大義名分のもと、牧野先生に会ってまいりました!

 

と、元気よく書きましたが、こんなに偉い人に取材していいのかしら…。自分からコンタクトをとったものの、バクバクに緊張しながら先生に会いに行きました。

ところが、お部屋の入り口に立った途端、緊張はすっかり吹き飛んでしまいました。

「南崎さんですね」と声をかけられたのを皮切りに、「どうぞお座りになって」「それにしても面白いことをされているんですね」「物理学をされていたんですか」などなど、先生からどんどん話しかけられたのです。どうやら私が事前に送ったメールを元に、私の経歴や東京大学のお仕事のことなど色々と読んでくださったようなのです。感激です。頭の中で練習していた堅苦しい自己紹介を披露する暇なんて全くありませんでした。

そのまま研究の話や生活のこと、学生さんの話など、色んなことを伺いました。実は時間を忘れて聞き込んでしまい、また別に時間をとって会っていただくという失態も。それくらい、先生との会話が楽しかったのです。

 

それでは、牧野成一物語の、始まり、始まり。

早稲田大学で英文学を専攻していた牧野先生は、勉強の途中で出会った文体論に興味を引かれ、東京大学の服部四郎先生のもとで言語学を学び始めました。しかし、当時の言語学の主流はアメリカ。かのノーム・チョムスキーがいる国です。一度本場で学んでみたいという思いから、フルブライト奨学生としてインディアナ大学に留学しました。牧野先生が29歳の時でした。

この留学中、牧野先生は二つの重要な経験をします。一つ目は、ある研究会でのこと。若かりしチョムスキーが大御所の研究者たちに果敢に噛み付く姿を目の当たりにしたのです。過去の成果を尊重する日本の学界ではあり得ないことでした。経験や立場を越えて対等な議論ができるアメリカという国に感銘を受けたそうです。

もう一つは、イリノイ大学のロバート・リーズ教授との出会いでした。共に研究をする中で、学生の質問を絶対に馬鹿にしないことなど、リー教授の教育理念から多くを学んだそうです。そして、牧野先生を日本語教育の道に導いたのも、リーズ教授でした。 

リーズ教授は、一年間で留学を終えて帰国する予定だった牧野先生に、このままアメリカに残ってイリノイ大学で日本語教育を始めてみないかと持ちかけました。時代は60年代。朝鮮戦争が終わり日本から引き揚げたアメリカ軍人たちがどっと大学に戻った頃でした。ハーバード大学やコロンビア大学、エール大学で30年代から日本語教育が始まってはいたものの、プリンストン大学を含む全米の大学で次々と日本語教育が始まったのが、まさにこの時期だったのです。

奨学金よりいいお給料でアメリカに残ることができる。言語学のために留学した牧野先生が日本語教育を始めたのは、実はそういう動機からでした。その後、ハーバード大学を経て、1991年にプリンストン大学東アジア研究学部日本語・言語学教授兼同日本語学科長となり、2011年に定年を迎えた後も、名誉教授として大学に残って、教育・研究を続けています。

「始まりは仕方なくだったんだけど、日本語教育が好きになっちゃって、日本語教育学会の会長にまでなっちゃったんです」とのこと。人生って、そういうもんなんだなぁ。 

イリノイ大学で日本語を教え始めた牧野先生は、学生達が日本人なら決してしないような間違いをするのに気付きました。例えば、「小さい家」と言うべきところを「小さいの家」というような。彼らの間違いがどうして起こるのかを徹底的に説明しようと試みたのが1986年に出版されたA Dictionary of Basic Japanese(日本語基本文法辞書)です。あえて文法に間違いのある文章を載せ、なぜこれが間違いなのかを解説しました。この辞書はアメリカにとどまらず世界中の日本語教育現場で役立ち、初級編は20万冊を越える大ベストセラーとなりました。

牧野先生は、学習者のレベルが上がるにしたがって、言語の文法だけでなく「非言語の文法」も必要になると話します。それは動作や態度のような、文字になっていない部分のことです。例えば、尊敬語で質問をしながら、ガムを噛んだりポケットに手を突っ込んだりしていたとしたら、それは日本語の理解としては不十分かもしれません。

逆に言うと、そういう所作をしてしまう学生の背景には、尊敬する相手にもフラットな態度で接するアメリカの文化があります。先のチョムスキーの例のように、この自由さはアメリカの大きな長所です。日本には日本の、アメリカにはアメリカの流儀があるようです。言語の文法と非言語の文法の両方を学ぶということは、自分が伝えたい本当の気持ちをちゃんと相手に届けるために、とても大きな力になるのです。

 

さて、ここまで教育者としての牧野先生について書いてきましたが、実は今回お会いした牧野先生の印象は、思いっきり、研究者の姿。面白そうなものを外からぐんぐん吸収し、脳内の膨大な知識とミックスして新しい境地に達しようとする、探究者の勢いを感じました。

例えば、インターネットの記事を読む時でも牧野先生の目は輝きます。「若者がどのように言語の規則を破っていくのかを見ると、とても面白いんです。」言語の変化の担い手はいつも若者たちです。日本に帰国した際には電車で聞こえて来る会話に耳を澄ませたり、教育プログラムで出会う高校生と話をしたりして、その言葉にアンテナを張り巡らせます。最近先生が驚いたのは「あのケーキ達が可愛い」という表現。複数のものを表す「達」が、人や生き物ではなくケーキに使われていました。これは、日本語のウチとソトの概念に当てはめると理解できるとのこと。「達」はウチにある存在、つまり自分に近しいものや親しみを持てるものに対して使っているもののようです。ウチとソトの広さによって言葉の適用も変わるという、柔軟性の一例でした。

新しく出会う人と話すのが大好き、という牧野先生。日本での教育プログラムの他、講演会で世界中を飛び回る多忙な日々を送っています。「呼ばれると嬉しいので、どこへでも行けるようにしておきたいですからね」と、毎朝の水泳で健康な体を保っています。

人との出会いは発見を生み、時に新しい研究テーマに繋がることもあります。牧野先生の過去の研究が思わぬ形で戻ってきたこともありました。プリンストン大学に演出家の平田オリザ氏が訪れたとき、オリザ氏は牧野先生の著書にサインを求めたそうです。なんでも、牧野先生の「くりかえしの文法」という本を読んだことが、日常的な話し言葉を演劇に取り込む試みのヒントとなったというのです。そして、近しい人とだけ話す場合や新しい人物が登場した場合の言葉の繰り返しの有無や変化など、会話と対話について考えを練り続けたオリザ氏は、言語教育に演劇のテクニックが有効だと提案します。これは、従来の日本語教育で行われていたロールプレイング方式に不満を持っていた牧野先生にとって、大きな刺激になりました。さらには、オリザ氏と知能ロボットの研究者である石黒浩教授(大阪大学)の対談の司会をしたことなど、人の輪はどんどん広がります。

 

牧野先生のご好意で、全部で三回もお話を聞きに行ってしまいました。いつまでたっても話題が尽きません。比喩の辞書の話や、翻訳で失われる情報の話など、最近の研究についても色々と伺いました。「今から勉強するのは難しいけど」と言いながら、脳科学を使った言語の分析についても盛んに話しておられ、常に次の新しいことを考えている若々しい態度が印象に残りました。

 

さて、一年間の留学で渡米したはずが、そのまま50年もアメリカに住み続けることになった牧野先生。最後に、住む場所について話を向けました。少し遠くを見て「もちろん日本は好きですし、懐かしいですよ」とおっしゃったので、日本の風景を思い出しておられるのかしらと思いきや、「そうですね、宇宙に行ってみたいですね」という続きが。予想外の締めくくりにびっくりです。遠いまなざしは、太平洋どころか大気圏も越えてしまっていたみたいです。すっかり、スケールの大きな牧野先生のファンになってしまいました。

牧野先生、ありがとうございました!

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南崎 梓@プリンストン