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【プリンストン便り15】東大・プリンストン大、交流の歴史。

昨年10月に開催されたUTokyo Dayにて、Eisgruber学長は「わたしたちの交流の歴史は宇宙物理分野に古く、1980年代から続いている」と話していました。

そんなに長いんだ!しかも宇宙物理なんだ(夫の分野)!と驚き、もっと詳しく聞きたいなーとずっと気になっていので、学長のスピーチにお名前が挙がった、東京大学の須藤靖教授とプリンストン大学のEd Turner教授にお話しを伺ってきました。

それでは最初に、東京大学で理論宇宙物理学の研究をされている須藤靖先生[注1]のお部屋を訪ねてみましょう。コンコン(ノックの音)[注2]。

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東京大学理学部一号館 安田講堂の裏にあるカッコいい建物です

80年代の出会い

須藤先生に美味しいお茶を淹れていただき、早速インタビュー開始です。「Eisgruber学長が、ヤスシ・ストーって言っていましたよ!」と意気込んでお伝えすると、「いえいえ、私はその中の一人、というだけなんですよ」と先生。長い交流の歴史は、今から30年前、プリンストンに滞在し始めた三人の日本人から始まりました。

当時、天文学や宇宙物理学の世界では、銀河—銀河団—超銀河団といった、より大きなスケールで天体を観測すると見えてくる「宇宙の大規模構造」が発見され注目を集めていました。1981年、プリンストン大学の高名な天文学者であるJeremiah Ostriker教授は、この大規模構造が若い銀河の中で起こる爆発によって作られたとする論文を発表しました。残念ながらこれは現在の標準理論とは異なるものの、同じ年に全く同じアイデアを発表した研究者が日本にいたのです。北海道大学の池内了助教授(当時)でした。この論文を通じてOstriker教授に招かれた池内先生は、数ヶ月プリンストンに滞在しました。

須藤先生がプリンストン大学を訪れるようになったのも、1988年にニューメキシコ州にて開催された研究会でOstriker教授に誘われたことがきっかけでした。さらに同時期に、東京大学の福来正孝教授もプリンストン高等研究所のJohn Bahcall教授と研究を始めていました。

こうして1980年代以降、三人の日本人はそれぞれ休暇を見つけては数週間から数ヶ月プリンストンに滞在するようになりました。須藤先生の場合は、日本に就職してからも過去四半世紀にわたり10回以上プリンストンを訪れているそうです。

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須藤先生のイメージ  須藤先生から提供していただきました!ちょっと可愛い…

スローン・デジタル・スカイサーベイ

三人の個人的な交流が組織的な繋がりに拡大する契機となったのが、プリンストン大学がアイデアを出したスローン・デジタル・スカイ・サーベイ(SDSS; Sloan Digital Sky Survey)という研究プロジェクトです。

宇宙の誕生と進化の全体像など、宇宙そのものの謎に迫るには、星や銀河を一つずつ見ていてもわからないことがあります。そこで、宇宙の広域を見渡す「サーベイ(探査)」という新しい観測手法が求められていました。

SDSSの特徴は、過去にない規模の広天域をサーベイすることと、撮像にCCDという半導体素子を用いることです。今ではデジタルカメラでおなじみのCCDですが、当時は天文観測の世界に登場したばかりの新技術でした。

CCDは、それまで使われていた写真乾板とは比べものにならないほど精細な画像をデジタルデータとして取得します。そして、その膨大なデータに世界中の研究者がインターネットを通してアクセスできるのです。今ではごく当たり前になっているスタイルですが、当時としては従来の光天文学を変える革新的なプロジェクトでした。

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SDSSの発案者でありプロジェクトの中心人物の一人でもあるGunn教授

とってもフレンドリーな先生なんです

さて、壮大なSDSSプロジェクトの実現には、やはり大きな費用が必要です。そこでOstriker教授は、SDSSを米国と日本の国際共同プロジェクトとして進めるべく、須藤先生ら三人の日本人に声をかけました。

理論研究が専門の三人は、観測天文学の専門家である東京大学の岡村定矩教授(当時)に連絡を取り、早速、日本側の準備を始めました。一方で、生粋の研究者気質でSDSSの発案者でもあるJames Gunn教授は、予算獲得だけを目的として日本をパートナーに選ぶことに気が進まず、日本の技術力を確かめるべきだと考えていました。

そのために来日したGunn教授を納得させたのが、国立天文台の関口真木助教(当時)による「モザイクCCDカメラ」でした。CCDをたくさん組み合わせて一つの大きなカメラとして用いるモザイクCCDは、広域観測の肝となる技術です。Gunn教授が目にしたのは、関口氏を中心とした岡村グループがすでに完成させていた、モザイクCCDカメラのプロトタイプでした。まさに彼が求めた技術力が日本にあったのです。その後、関口助教はプリンストンに滞在しGunn教授と協力しながら、二年の月日をかけてSDSSの心臓部とも言えるモザイクCCDカメラを完成させました。

SDSSが育んだ豊かな人脈

1998年に日本チームが正式にSDSSに参加して以来、多くの研究者や学生が東京大学や国立天文台から、プリンストン大学宇宙科学教室に滞在し共同研究を継続してきました。彼らはこの場所を、建物の名前から「ペイトン(Peyton)」と呼んでいるそうです。

 

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ペイトン外観

 

須藤先生ら三人の「第0世代」は、後に続く若者たちがペイトンに滞在できるよう、積極的にサポートを続けました。派遣された学生や若手研究者たちは、プリンストン大学の錚々たる教授陣と共に様々な経験を積んでいます。第一世代には、現在の東京大学理学部附属木曽観測所所長である土井守教授、第二世代には現在マックス・プランク宇宙物理学研究所所長の小松英一郎教授を始め、今やこの分野を牽引する優秀な研究者たちの名前が並びます。

そして、現在ペイトンに滞在しているのが第三世代の研究者たち。普段よく顔を合わせているので[注3]、つい忘れがちですが、彼らも将来有望な若者たちです。もっと敬わなければいけませんね。

やがてSDSSは米・日以外にも世界中の国から200名を超える研究者が参加する本格的な国際共同プロジェクトに発展し、2009年に日本グループが作成したモザイクCCDカメラによる観測を終えました。全天の約4分の1もの広さにわたり25億光年先までの描かれた宇宙地図は、現在でも多くの研究者に利用され、新しい知見が得られています。

そして現在!

SDSSプロジェクトは従来の宇宙の謎を解き明かしたのみならず、「暗黒物質」や「暗黒エネルギー」という、これまでの科学の常識では説明できない根源的な謎の発見に大きく貢献しました。それらの謎に迫るには、直径2.5メートルのSDSS望遠鏡では見えなかったものを観測する必要があります。

現在、ペイトンのメンバーは再び東京大学や国立天文台と共に宇宙のサーベイ観測プロジェクトに取り組んでいます。今回は、日本が誇る直径8.2mのすばる望遠鏡に設置された、ハイパー・シュプリーム・カム(HSC; Hyper Suprime-Cam)という非常に高性能のモザイクCCDカメラが主役です。これは国立天文台の宮崎聡准教授が中心となって完成させました。

2014年3月に本格始動したHSCは、高解像度・広視野・深宇宙を全て満たす、世界で唯一の観測装置です。

HSCで一体どんなことがわかるのか?それは、東京大学の研究を紹介する「UTokyo Research」で紹介されています。詳しくはぜひこちらを:

http://www.u-tokyo.ac.jp/ja/utokyo-research/editors-choice/dark-energy/index.html

HSCプロジェクトを開始した経緯について、プリンストン大学のEd Turner教授にもお話を伺いました。Turner教授は須藤先生と共にHSC立ち上げ時にお互いの国の窓口役を務めたそうです。

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ソフトな笑顔のTurner教授

初対面だったけれどとても優しくて話しやすい方でした

 

ペイトンのメンバーがSDSSに代わる次の観測プロジェクトを探していた頃、アメリカ国内でも2020年を目標に、HSCと同様の大規模な望遠鏡を建設する計画が立てられていました。

一方、すばる望遠鏡はもともと広い視野を見ることができるように設計されています[注4]。これに高性能のHSCカメラを設置すれば、アメリカの計画よりも早く観測をスタートできるのです。ペイトンの新プロジェクト選定について須藤教授に相談をしたTurner教授は、この日本の動きを知って早速一緒に行動を起こすことにしました。

 

文化を越えた共同研究の困難

Turner教授がHSC代表者の国立天文台の宮崎准教授や、東京大学理学部の相原博昭教授に連絡を取ると、すぐに前向きな返答が返ってきました。「須藤さんが誰に何を話すべきかアドバイスをくれたので、スムーズに話を進めることができました」とTurner教授が振り返る[注5]とおり、日本とペイトンはよく連携し、始まりはとても順調でした。

しかし、いざ正式に共同研究を開始するにあたり、ひとつ問題が生じました。アメリカでは、共同プロジェクトに参加する際には必ず詳細な契約書を作成します。ところが、すばる望遠鏡は他の観測プロジェクトにも利用されており、この時点ではHSCプロジェクトの観測日数を確約することができなかったのです。

「アメリカは契約の国だけれど、日本は信頼の国だ。日本人は、やると言ったらやる。信じてほしい」という須藤先生の言葉をペイトンのメンバーは信頼し、アメリカの常識では考えられない曖昧な契約書で、プリンストン大学の運営陣や顧問弁護士を説得しました。HSCの契約成立は、ペイトンのメンバーの理解と努力のおかげだったと須藤先生は言います。

この時のことを尋ねると、Turner教授は「須藤さんも宮崎さんも相原さんも、洗練された国際人でした。確かにアメリカ流の契約ではなかったけれど、100%日本流だったわけでもなかった。私たちは、日本流とアメリカ流のちょうど中間で話し合いができたと思っています」と話していました。須藤先生とTurner教授とは別々にお話を伺ったのですが、お二人とも、いかに相手が努力してくれたかを話しておられたのが印象的でした。

 

HSCは、日本とプリンストンおよび台湾の共同プロジェクトとして、今後5年間サーベイ観測を続けます。
その研究計画はすばる望遠鏡の運営員会に高く評価され、5年間で100晩以上というプリンストン大学との約束をはるかに超える、年間300晩の観測日数を確保することができました。現在すでに、これまでのカメラでは見ることのできなかった鮮明で美しい画像が公開されています。

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HSCで撮影した視野全体。すばる望遠鏡に取り付けたHSCでは満月9個分に相当する広大な視野を一度に撮影できます。(クレジット:HSC Collaboration / Kavli IPMU)

以下のKAVLI IPMUのウェブサイトより高解像度のファイルをダウンロードできます。http://www.ipmu.jp/ja/node/1674

暖かい交流から最新の科学が生まれる

須藤先生もTurner先生も、一緒にご飯を食べてお酒を飲んで、友達になって、長い時間を経た人間同士の繋がりが大切だったと話します。須藤先生は、それまでの交流がなければHSCは実現しなかったとさえ言いきるほどです[注6]。最先端の科学と技術を駆使して宇宙の謎に挑戦する科学者が、「最も大切なのは信頼関係」と口を揃えて言うのは、意外でもあり、嬉しくもありました。

たとえ研究対象が日常生活と離れていても、未知に対する人類の総力戦である学問というものは、つまるところとっても人間らしい営みなんだなぁ、としみじみ思いました。

 

Turner教授は、プリンストン大学の国際教育・研究カウンシルのメンバーでもあり、戦略的パートナーシップの相手として東京大学を推薦した張本人です。「最初はたった一つの論文から始まった交流が、組織的な大きな絆になり、今では分野を越えて大学同士の戦略的パートナーシップに発展した。私はこれがとても嬉しいのです」と、30年の歴史を笑顔で振り返ります。

今後ますます広く豊かになるであろう両大学の交流から、どんな研究成果が生まれるのでしょう。ん〜!楽しみですね!

 

南崎梓@プリンストン

[注1]須藤靖先生は研究者としてはもちろん執筆家としても際立つ才能をお持ちである。拙文などは先生の目に触れることのないようこっそり隠しておかねばなるまい(が、内容確認のためこの文章を真っ先に送信する相手が、残念ながら須藤先生なのだ)。ちなみに、このように注釈をやたら加えるのが須藤流だ。この注釈こそ小ネタの宝庫なので、読者は油断禁物である。須藤先生とプリンストンとの関わりは、須藤靖『宇宙人の見る地球』(毎日新聞社)とhttp://www-utap.phys.s.u-tokyo.ac.jp/~suto/myresearch/jonestalk-2013Oct23.pdf に詳しい。

[注2]この日、私は本当に、須藤先生にお会いするために遠路はるばるプリンストンから東京大学を訪れた。このことからも私のプリンストン便りにかける情熱を感じていただけるだろう。たまたまタイミングが合ったので、ついでに、友人の結婚式出席とビザ更新と結婚後初の親戚周りを済ませてきた。

 

[注3]なぜ普段よく顔を合わせるかというと、その中の一人が私の夫だからである。わが夫は過去に須藤先生の著書で注釈デビューを果たしているから(東京大学出版会から出版されている、須藤靖:『人生一般ニ相対論』p.115の注2)、彼にとって注釈で言及されるのは、実はこれが二度目である。もう一人の第三世代であるT田くんは、プリンストンのタウン情報からアメリカの歴史まで、なーんでも知っている情報マニアである。新進気鋭の研究者相手に申し訳ないが、彼には早く、プリンストンのレストラン格付け本「トミシュラン」を完成させていただきたい。続いて、すでに帰国した元ペイトン組もご紹介しよう。国立天文台屈指の爽やかハンサムM岡さんは、付き合いが長くなるにつれてツッコミの鋭さが増していった。本性が出てきてしまったのだろう。東京大学ポスドクのS山くんは、毎晩ミートソースパスタという思い切った戦略で一人暮らしを生き抜いたツワモノである。なかなか個性豊かな第三世代であった。

 

[注4]すばる望遠鏡は、広い範囲を見るのに適した主焦点という構造を持つ。1980年代の建設計画時点で広視野の重要性を主張した、東京大学の岡村定矩教授の先見の明により、現時点では世界で唯一の広視野・深宇宙の観測ができる望遠鏡として活躍している。

 

[注5]Turner教授は、英語での会話中も必ず日本人のことを「さん付け」で呼ぶ。 日本文化を尊重したいと考えてくださっているようだ。ちなみに、彼の名刺にはファーストネームのEdの代わりに「江戸」と書いてある。これで初対面の日本人のハートを掴むのだそうだ。

 

[注6]ペイトンの学科長であるDavid Spergel教授と話す機会があり、どうやってプリンストン大学の運営陣を説得したのか尋ねたところ、「わたしたちは須藤さんたちを信頼していて、大学の運営陣はわたしたちを信頼していたんです。わはははは」とのことだった。「彼らが長年にわたってプリンストンに滞在し、共に過ごしたおかげで培われた信頼関係が、わたしたちの研究では最も重要なものなのです」と、この冗長な記事をバッサリ要約した素晴らしいコメントも頂いた。